しばらくバタバタしていて続きをUPしていませんでした。
あれから色々変わったようで、
今は私達がお世話になった石巻ボランティアセンターは
県外の方は個人では受け付けていないようです。
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10163状況は違ってしまっているかもしれませんが
記録やどなたかの参考になればと思いますので続きを書きます。
作業風景写真はありませんが、休憩時間やまわりの様子は撮りました。
4月20日
起きたら雪景色でした。

今日は雨も雪も降っていないので作業できそうです。
ボランティアセンターの受付で仕事の割り振りをしてもらいにいきます。


作業で必要なものは受付すぐ隣のプレハブから自由に持っていけます。
東京から軍手やマスク等持ってきていましたが
強力なマスクや携帯うがい薬等は使わせていただきました。

それぞれの作業場に必要な資材、
スコップ、一輪車、土のう袋、ほうき、ヘルメット等はこの大きなスペースにありました。
作業が終わったらまたこちらに返します。

準備が整いいざ出発です。
この日は私達のグループに個人で東京から来ていた男性がひとり加わりました。
依頼内容は市街地のお店の片付けの手伝いでした。

このオレンジ色の建物。
ここはロックバーで、依頼者はお店の経営者の女性でした。
30年以上かけて集めた貴重なレコードが数千枚。
店内の残骸をかき分け、ヘドロに手を突っ込んで約3000枚のレコードを救出しました。


レコード版は洗えばきちんと音が出ます。
できるだけ沢山のレコードを出来る限り傷つけないよう運びだしました。

隣の建物は完全に倒壊。
震災の恐ろしさを物語っています。

このような感じで作業していました。

帰りにたまたま泥を流してくれる場所に行きつき
ヘドロにまみれた作業服と資材をホースで洗い流してもらいました。
その後、前日にスーパーで地元の人に教えてもらった
道の駅に隣接している温泉「上品の郷」(じょうぼんのさと)に入りました。
ボランティアセンターのキャンプ場には当時まだ水道がきていませんでした。
私達は車があったのでそのような施設に行く事が出来たのですが
車のない個人で来た人達は、何日もお風呂に入れず
テント内はヘドロの匂いが充満してリフレッシュ出来ずに大変だったそうです…。
お世話になりました!「上品の郷」!
http://www.joubon.com/home/それからもうひとつありがたいことが。
カレーの「coco壱番屋」がボランティア活動者に
1000円まで無償で食事を提供してくれるサービスをしていました!
ボランティア後のカレーは本当においしくて、嬉しかったです。
(このサービスは5/10に終了)
ありがとう!「coco壱番屋」!
http://www.ichibanya.co.jp/index.htmlそんな感じでこの日は終わりました。
ロックバー店主はまたどこかでお店を再開させると言っていました。
いつの日か、このメンバーで遊びに行きたいと思っています。
続く
イラスト・イラストレーター
http://www.okamuranaomi.com
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- 2011/07/07(木) 20:55:04|
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4月19日
朝、ボランティアセンターで受付をすませる。

このシールがボランティアセンターから来ていますの証明になります。
支度もして、仕事の振り分けを待っていると
なんと、雨が……。
それほど沢山降りそうな感じでもないけれどちょっと雨宿りしたいな位の微妙な量。
しばらくして
「本日の作業は中止になりました。」
の連絡。
ええええー??!!
私達が石巻にいられる日はほんのわずか。
これではいかん、なんとか作業がある所を見つけようと
車で町の方へ行ってみる事にしました。

最初に行った避難所の学校。
時間はあの時のままでした…。
ここではこの日は手が足りているそうだったので別の場所を探す事にしました。
車を降り、歩いていると市役所がありました。
中はあらゆる手続きの人でごった返していました。
3/11の地震からその日4/19までの町の動きや情報が
壁いっぱいに貼られていました。
ぐるぐる回っているとボランティア受付のようなカウンターがあったので
石巻ボランティアセンターの作業が今日中止になってしまった為、
どこか人手が必要な所があったら教えてほしいと聞いてみました。
「今日、このあたりの二つの学校が消毒作業をしているから、もしかしたら人手が必要なことも
あるかもしれない。市役所からここの場所を聞いたと言ってくれたらいい。」
そう教えてもらい私達はそこに向かってみる事にしました。
すでに昼どきになっていたので商店街で再開したばかりっぽいお店で
食事をする事にしました。
店内はとてもきれいでここはあまり被害がなかったのかなと思い聞いてみると
地震直後は腰まで水が入ってきたとの事でした。
ここまできれいにするのには本当に大変だったのだろう…。
暖かい食事をありがたくいただき午後にむけて作業をがんばろうと心から思いました。

無事だったサイボーグ009 島村ジョー。
凛とした姿で遠くを見つめていました。
この商店街には沢山の石ノ森章太郎さんのキャラクターがいました。
市役所で教えてもらった学校に着き、管理している人と話をしてみると
うーん…と最初はあまり仕事がない風な返事。
しかし、後回しにしていた救援物資の整理作業があるようだったのですぐに取りかかる事になりました。
案内された所にはもの凄い量の分別していない衣類が廊下に並んでいました。
それぞれのダンボールを開けてみると…それぞれでした。
某有名洋服会社からの新しいGパンが何本も。
丁寧に心のこもった文章の手紙が添えられていました。
靴を扱っている会社からでしょうか。
子供用の新品の運動靴が沢山。
個人のお店で扱っているものからなのか
子供服から大人の服まで。タグがついているので新品なのでしょう。
古着もたくさんありました。
状態のいいものならいいのかもしれませんが、
これはちょっと……というものもありました。
2つひと組で使うもの(靴下など)も片方しかなかったり。
洗濯していないんだろうな…と思われるものだったり。
しかし中には手紙も添えられているものもあったので
悪気はないのかもしれませんが、複雑な気持ちになってしまいました。
作業をはじめてすぐにいろんな人が集まってきました。
いつもお手伝いしているのでしょう、
声を出してテキパキと動く小学生、中学生。
別の作業が終わったボランティア達、
来たばかりのボランティア達。
手分けをして一気に作業をしました。
次の日も雨の可能性もなくはないので
「もし雨になってセンターで振り分けられなかったら明日もお手伝いしましょうか?」
と聞いたら、もし雨だったら連絡なしでそのまま来て大丈夫との事。
やる事はまだまだいっぱい出てきそうでした。
作業を終えた後、大きなスーパーに行きました。
車でちょっと走れば日常と全く変わらない所に行けます。
沢山の食べ物、飲み物、ケーキも見かけました。
この日の夕食は雨でキャンプ場で作る事が難しかったので
びっくりドンキーに行きました。
店内は車で来られる人達で大人気でした。
そして、ゆっくりコーヒーなぞ飲んでいたら
窓の外はみるみるうちに雨から雪に……。

センターに戻ったらこんな感じ。
雪の重さでつぶれてしまったテント続出だったらしく、しばらくすると拡声器で
「校舎の一部を解放したので希望者は避難してください」
の声。
もう寝袋に入ってしまったし、何とかつぶれないことを祈ろうとそのまま寝ました。
が、
さすがに寒さで夜中に何度も起きてしまいました。
明日はどうなるんか??????
そう思いながら過ごした二日目の夜でした。
イラスト・イラストレーター
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- 2011/05/17(火) 13:42:44|
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4/18(月)~22(金)まで
カメラマン2人、デザイナー1人、イラストレーターの私の4人で
宮城県石巻市にボランティアに行ってきました。
地震、原発の事故以来
体調を壊し、精神的にもあまりよくない状態が数週間続いていました。
そんな時
「大変かもしれないけれど、思い切ってボランティアに行ってみるのもいいんじゃないか?」と
声をかけられました。
普段体力作りはしていないし、ボランティア経験もない、今は精神のバランスもよくない…。
本当にとても不安でしたが考えた末、行く事を決心しました。
短い期間でしたがこの体験をブログにあげ、
次にお手伝いに行かれる方々の参考に少しでもなればと思います。
4月18日
早朝の集合。
約6時間かけて宮城県にむかう。

道路をはさんで右手は壊滅状態、左手は日常の風景(に見える)。
このあたりからかなり様子が変わってきました。
石巻に着き、まずは数日前から連絡をとっていた避難所の中学校に
その場所で希望しているほうきを2種類(10本)届けに行きました。
「町の様子を見て下さい。丘にあがるとよくわかります。」
担当の方に場所を教えてもらい南浜町を見下ろせる丘に行きました。

言葉になりませんでした。
まだ固いつぼみを持つ桜の木がいっぱいの丘。
本当は海と町を見下ろせる美しい景色だったのでしょう。

恐る恐る下に降りて行きました。
最初の数歩は足が震えました。
ヘドロと潮とほこりが混じったような重い匂いが包む。
テレビやネットの画面で見た信じられない光景の中に今自分がいる。
これは本当に現実なんだ。
瓦礫の中でひとりの年配の男性に会いました。
「いくつかあったんだけど残ったのはコレだけ。30年かけて育てたんだけどね…。」
泥をかぶったひとつの盆栽の鉢を手にし話してくれました。





私達が行った頃には作業車が通れるよう、大きな道路は整備されていました。

ゆっくり町を歩いた後
ボランティアセンターのある専修大学まで行きました。
受付はすでに終わっていたので、
とりあえず日が暮れる前にテントを張り夕ご飯をすませ
明日からどんな作業が待っているのだろう…と思いながら早めに寝袋に入った一日目でした。
イラスト・イラストレーター
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- 2011/05/16(月) 23:28:07|
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